神は存在するのか存在しないのか、証明して何になる?私なりの結論

スポンサーリンク

神様ってホントに居るのでしょうか?

神様ってホントに居るの?

私個人の考え方としましては、神が存在しようがなかろうがハッキリ言ってどうでも良いことであり考えるだけ時間の無駄であるそれが私が出した結論です

まず神が居ると信じている方々、私はその考え方は一切否定はしません

その人が神が居ると考えれば居るで結構ですし、朝晩のお祈りをされようが神様の為に日々様々な労力をされようが、私は何も気になる事もありません

しかし私は神に対して、そのような時間や労力を使うことに全く興味がありませんし考えすらしません、それはなぜなのか、その理由とは

「神をいくら崇めようが尽くそうが、一円の見返りも返ってこないから」

神の崇めても、何の徳にもならない

私からすると神を崇めて様々な努力を惜しまずにいる方は、就職して会社で仕事をしているのに、ずっとタダ働きしいているおかしな人にしか思えません、まあ本人が良ければそれはそれで結構な事ですが

しかし、こんな私ですが昔は逆に「神は存在する、だから神の為に様々なことをやらなくてはいけないし、それをやらなければ、きっと何か悪いことが起こってしまう」そんな考えを方を長い間本気で考えていた人間だったんです

昔は、そんな考え方の私でしたので、まず生活の中心に神様や仏様ご先祖様がいて、その方々のお陰で今の自分があるんだと本気で、そう考えていました

墓参りは月に何度も、しつこいくらい行っていましたし先祖供養や、お盆などの行事、そして昔からある神事など、とにかく神様に関わることを他の誰よりも一生懸命努力してやっていたんです

そして、それを何年も何年も続けていくうちに自分自身が精神的に、おかしくなっていることに私は、ほとんど気が付けずにいました

何か少しでも悪いことが起きれば「神様にもっと忠誠を誓っていなかったからだ、もしかしてその為の努力を怠っていたから?、そういえばこの前墓参りに行った時の、あの行動がご先祖様の気に障ったのかもしれない・・」

などと、いつも不安で怯えていてその不安を払拭するために、また神様、仏様に一生懸命お祈りをしたり、もっといいお供え物をしたりするなど、そんな感じで毎日不安な生活を送っていたんですよ

先祖供養なんてハッキリ言って、やる必要はない→先祖供養は必要か必要ないのか、先祖供養に対する間違った考え方?

神に自分の全てを捧げていた私

そして、そんな日々の生活の中で突然私にとって人生最悪の不幸が訪れることになるのですが、それについては、あまりにも惨めで現実離れをした悲惨な出来事でしたので、ここで詳しく書くことはあえて避けたいと思います

ただ、その悲惨な出来事をきっかけに、さらに神や仏に頼る心が私の中で、ますます膨れ上がって異常ともいえるくらい神や仏のことに没頭し始めるんです、そしてそんな神にすべてを捧げている私を待っていた最後の結末とは・・

「一向に変わらない厳しい現実の生活と、神に全身全霊を捧げ次第に、心も体もどんどん弱く痩せ細っていく不幸な自分が、ただ残ったのみ・・」

スポンサーリンク

そうなんです、この頃になってやっと気が付いたんです、神や仏の為に何か努力したとしても自分に見返りは何も返ってはこないんだと

当たり前じゃないですか、そもそも初めから神など、どこにも存在していなかったし自分が勝手に神様がいると勘違いしていただけであり

意味もない時間や労力を費やして馬鹿なことをやっていたのは、この私自身の責任なのですから・・

神と縁を切ることで人生が好転し始めた

それからの私は今まで自分がやってきた、この無意味で馬鹿げた行為に、どれほどの激しい怒りを感じたのか、皆さんは想像ができますかこの時を境に私の神に対する態度は一変します

先祖供養→ そんなものは必要ないし、やる必要もない!

ご先祖様の祟り→ やれるもんならやってみろ、いつでも相手になってやる!!

偉大なる神の存在→ 偉大なる神より俺の存在の方が、よっぽど偉大だ!!

昔からの神事→ くだらない、正直どうでもよい!

今まで、生活の全てを神や仏に捧げていた挙句の果てが、このどうにもならない最悪の結果なら神や仏の事など、もうどうでもいい!

これ以上今の状態より生活が悪くなることは考えられないほど最悪な状況なのだから、バチが当たったとしたら喜んで受け入れようではないか(笑)、やれるもんならやってみろよ!と心の中で私はブチ切れて、そう叫んでいました

それからの私は、神や仏から一切の縁を断ちます

そして、その生活を何年も続けていくうちに神や仏といった存在が私の中で、どんどん小さくなっていき普段の生活の中で頭にすら浮かばない、本当にちっぽけな存在へと徐々に変化していったんです

そんな大多数の方々から見たら本当にバチ当たりな行動を平然と続けていた私の生活が以前と比べて、どのように変化したのかといいますと

バチが当たるどころか生活が良い方向へと、どんどん改善され精神的にも経済的にも以前とは比べようがないほどに改善していきました

当然ですよね、今まで何も意味もない事に自分のエネルギーの、ほとんど全てを使っていたのですから

その使わなくなった莫大なエネルギーを今度は全て自分の為だけに使える訳ですから、物事が万事が上手くいくのは当然の事です

あわせて読みたい記事→田舎の風潮や、しきたりが大嫌いな私が周囲を完全無視してきた結果

神の正体とは一体何なのか?

神は存在するのか、存在しないのか

その答えは、存在すると思ってる人には存在しており

存在しないと思ってる人には存在していない

結局は自身が作り出したり、作り出さなかったりするもの

神とは、ただそれだけの存在なのです

あなたへのおすすめ記事→過去が気になる過去を考えすぎて苦しい人は、どう生きればいいのか?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする