先祖供養は必要か必要ないのか、先祖供養に対する間違った考え方?

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このブログ記事を今読んで下さっているあなたは、おそらく先祖供養は必要なのか、それとも全くやる必要がないのか

多少なりとも疑問を持たれて、このページを訪れて下さった事だろうと思います

先祖供養は、なぜ必要なの?

はじめに断っておきますが私には何か特別な霊能力が備わっている訳でも、そういった類の団体に所属している訳でもございません

それなら何故こんなタイトルで、私は先祖供養の事を書こうとしているのか

それは、かつての私が先祖供養という行為を通して感じてきた数々の疑問点に対して

何だかスッキリしない思いを抱きながらも風習や習慣という名のもとに、ずっと意味のない先祖供養を無理やり続けさせられてきた経験から

かつての私のように先祖供養は、やらなくてはならない事だと感じながらも何か漠然とした疑問を持たれている方に対して

私なりの考え方で記事を書いてみようと考えたことが、きっかけになっています

田舎の風習って本当にくだらないと思う→田舎の風潮や、しきたりが大嫌いな私が周囲を完全無視してきた結果

そして、ここからは少し私の個人的な話に移りますが

私が現在住んでいるのは都会ではなく、典型的な昔ながらの田舎なのですが

都会に住んでいる人からすると全く意味不明な、風習や習慣が未だに根強く残っている所なんですね

実は私は都会に住んでいた経験もあり今は田舎に住んでいますが、やはり結論として住みやすいのは断然都会の方だと私は感じています

ただ勘違いをしてほしくないのは、ここで私が言う住みやすさとは交通や生活の便利さではなくて、あくまでも精神的な住みやすさの事をここでは意味しています

田舎は様々なことで干渉されてしまう

田舎暮らしをするとなると、やはり覚悟はしていましたが郷に入っては郷に従えという風潮が色濃く残っており、この言葉の意味を少し調べてみると下記のような意味になるようですが

※その土地(又は社会集団一般)に入ったら、自分の価値観とは異なっていても、その土地(集団)の習慣や風俗にあった行動をとるべきである

う~ん、この一文を読んでみただけでも、嫌悪感と寒気がしてくるのは私だけなのでしょうか?

田舎に住んでいますと上記の一文のような「田舎の鉄の掟」が未だに強く残っているのですが、都会に住んでいた経験のある私からしてみますと「アホらしくてやってられん」というのがホンネのところです

現在の私が住んでいる田舎は「先祖供養の習慣」というものが他の地域と比べても、かなり色濃く残っている地域だとは思っているのですが

私もはじめ、ここに住みだした頃は郷に入っては郷に従えの言葉どおり、できる限りの先祖供養は相当やってきました

・・といいますか訳あって無理やり従わさせられて、やらされていただけと言った方が正しい表現だと思います

仏壇の前で朝晩の祈りや、ご飯や、お供え物をあげるのはもちろんのこと墓参りなどは月に四~五回程は必ず行かなくてはなりませんでしたし

仏壇や、お墓に飾る生け花などを買いに行ったりする事など、一日の生活の中での結構な時間を先祖供養の為の時間に、かなり費やさなければなりませんでした

実際に、そういったことをやってみると分かるのですが結構なお金の浪費になりますし、仏壇に供えるご飯などは誰も食べないのに毎日作って替えなくてはならない

お供え物や生け花代なども月にすると結構な金額になりますね、それと比べると毎月のスマホの料金なんて本当にかわいいものです

それでは、そろそろ本題の先祖供養は必要か、必要ではないのか、についてのお話をさせて頂きたいと思います

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まず結論から申し上げて、先祖供養というものは「必ずやらなくてはならない強制的なものではない」ということ

特に私のような昔からの風習が色濃く残っている田舎に住んでいると、先祖供養をしない、やらないということが周囲に知れたことならそれこそ一大事!

まるで犯罪者でも見るかのような反応で噂話の中心人物になることは、ほぼ間違いのないことになってしまいます、あ~もう本当にアホらしいことですね、他に何か考えることはないのかって感じですわ(笑)

先祖供養は習い事と同じ

都会に住んでいる方からは想像するのが難しいとは思いますが、私は今まで喋ったこともなければ

一度も顔を見たこともない、名前すら知らなかった方のお通夜やお葬式に何度、強制的に出席させられたことがあったのか想像ができますか

ただ同じ地域に住んでいるから?ただそれだけの理由でですよ

私が思うに先祖供養とは習い事などと同じで本人の意思によって、やってもやらなくても良いもの

本来ならダンス教室やスイミングスクールなどと一緒で、やるかやらないのかは本人の意思のみで決定する、そのようなものなのです

それを先祖供養だけはしっかりやっていないと、祟りだの不幸な事が起こるなどと何の根拠もない馬鹿馬鹿しいことを平気で言う方達がいるものですから困ったことになるんです

ハッキリと申し上げまして、しっかり先祖を供養しないと子孫を祟り、不幸になるだなんて、自分の可愛いご子孫に対して、ご先祖様はまさかそんな、せこい逆恨みなどをされるのでしょうか?

これは、なんと器の小さい仏様しょう!そんな心の小さな人間なんて、現実の社会のでも、そうめったにお目にかかれるものではありませんよ、それが本当ならなんとも情けない仏さまですね、情けなくなりますよ・・

私がもしご先祖様になったとしたら子孫には特別何も望まず、ただ幸せになってくれる事だけを願いますがね

そして、私が思う先祖供養をしなくてもよいと思える最大の理由、それは・・

いくら実在しないものに働きかけたとしても何も起こらないし何も無い

ただ時間と労力を無駄にするだけの無意味な行動だからなのです

ありきたりの当たり前の事を、ここであえて言わせもらいますが、そういった目に見えない霊的なものが存在すると主張する方がもしもいらっしゃるのならば、すいませんが実際に私の目の前に連れて来てはもらえませんかね

その時は、さずかの私も本当だったんだと心から考え方を改めて、その場は仏さまと名刺交換でもすることにしましようか、それまではしっかりと名刺だけは数枚くらいは準備しておきましょう(笑)

ただ私は全ての目に見えないものが、この世に存在しないとは全く考えておりません

携帯電話やテレビの電波だって目には見えなくても、そこに存在していることは誰だって知っていますし

引き寄せの法則などのように、やはり目には見えないが確実に存在していることが実績として数多くの方達に周知されていることがあることも知っています

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しかし、この先祖供養というものだけは、ただ単純に、その国や地域地域での風習でしかないものなのです

それを「絶対に必ずやらなくてはならないことなんだ」と、本人だけが納得してやっている事であるならば私は何も言うことはありませんが

自分の考え方を押し付けて周りの人間まで巻き込み、その考え方に従わそうとする田舎の人間は、いかがなものかと考えます

まとめ

先祖供養は必要だと思い込んでいる人には絶対に必要なものである

また、その反対で必要ではないと思っている人にとっては全く必要のないもの

先祖供養とは自分の意思決定により、やってもやらなくてもよい習い事のようなものである

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