他人を異常に気にしながら、あれこれ気を使って生活していくことは大変疲れる事です
私は子供の頃から他人に対して、過剰に気を使い過ぎる傾向がありました
相手に対して過剰にサービスをやりたがる
あれは小学生の頃でしたか・・特に特別な日でも何でもない時に、友達に対して何か喜びそうな物をプレゼントしてみたり
時には友達が学校でやらなくてはならない係などを、自分から意味もなく引き受けようとしてみたりする事など
過剰なまでに友達のご機嫌取りを、ことあるごとにやっていた記憶があります
そして、そのようなクセは大人になってからも、ちょくちょく表に出たりすることが多く自分でも決して良いことではないと感じていたのですが
なぜ、そのような意味もない他人に対しての過剰な、ご機嫌取りを自分は、ついいつやってしまうのか?
その事実に対しての答えや、原因となっている根本的なものが大人になってからも
なかなかはっきりとしない?直したいのは分かっているのに、どうすれば良いのかが全く見当もつかない
その事に対しての対処方法が全く見つからないといった自分にとっては、ずっと深い謎の部分になっていました
パートナーに対して、特に異常な行動が出てしまう
特にそういった、ご機嫌取りが一番強く表に出てしまう場面は、唯一心を許すことの出来るパートナーと一緒にいる時などの時が多く
相手の顔色や普段の何気ない返事ひとつにしてみても、少しでも何か様子が変だなと感じると
一体どうしたの?と声を掛けたりして慌てて機嫌を取ろうと、あちらこちら気を回して手伝いなどをやってみたり
または不安になることによって自分の方ばかりがパートナーに対しての、スキンシップが必然的に多くなってくるのに対して
パートナーからのスキンシップは、こちら側が要求しない限り逆に、ほとんど無くなってしまうことが多いなど
パートナーからしてみれば別に機嫌が悪い訳ではないのに、こちら側の一方的な思い込みや不安によって、すれ違い気味な?おかしな関係になってしまっていたんです
では何故、自分でもこんな不自然な状況を、そこまで理解していながらも己の意に反してやってしまう過剰なまでの機嫌取りや
自身の不安などから、やらなくてもよいスキンシップなどを意味も無く多くやろうとしてしまうのか?
気が利きすぎる性格を、もういい加減本気でやめたい人へ→気が利きすぎて自分ばかりが損をする?その原因と対処法を教えます
原因はこれだった
物心ついた頃から、そんな不自然な自分になってしまっていた根本的な原因は実は、こんな理由だったんです
「幼少期の頃の、親と子との関係」
間違いなく、これが最大の原因となっていました
小さい子供から見た親という存在は、当然ですが自分一人で生きていく術を持たない
弱い子供の自分を無条件で愛し育ててくれて、いつでも見守ってくれている存在です
その絶対的な安心感をもたらしてくれる親という存在が
もしも?自分の事を守ってくれる存在になってくれなかったとしたら・・
これは幼少期の子供にとって、どれほどの不安や恐怖が決して消えない深い傷となり
その小さな身に刻み付けられる結果となるのか、あなたは安易に想像する事ができるでしょうか?
とにかく毎日が孤独で寂しかった幼少時代
実は、そのような幼少期を実際に過ごしてきたのが、この私自身だったんです
仕事も、まともに就こうともせず暴力ばかりを振るっていた父親から逃げるように、パートで生計を支えながら親戚を頼るなどして
その日その日で、あちらこちら寝泊まりをする家を転々とするような毎日だった、私の幼少期の頃の異常なまでの生活・・
時には父親から逃げる事で、車の中で寝泊まりしなければならなかった事も何度かありました
家に戻れば父親が帰って来る物音に怯え、帰って来たら帰って来たで父親の顔色をびくびくと常に伺いながら・・
家の隅っこで恐怖で震えているような記憶しか、その当時の私にはなく、そして親戚の家にしばらくの間、住まわせてもらうことになったとしても
親戚といえど、やはり本当の家族ではなく他人でしたので、私は子供でしたが他人の家に長くお邪魔している後ろめたさを事ある毎に感じずにはいられませんでした
そんなこともあり幼少期の頃は、親からの絶対的な安心感などは十分に感じられることがまるでなく、他人の家の家族のだんらんを遠目に見ながら一人寂しさに耐えていることしかできない・・
そのような生活を当たり前のように過ごしていましたので、普通の人が記憶として覚えている子供の頃の様子とは明らかに異質なものだったかと思います
そして私は、そのような幼少期の消せない記憶が、大人になってからも自分自身を苦しめているということが、様々な経験を重ねるにつれてハッキリと理解できるようになってきましたので
まだ心の中で父親の顔色を伺いながらビクビク震えている小さい頃の自分自身と向き合い、根気強く話しかけていく事を、心の中で何度も何度も繰り返していきました
もう全て何も心配する必要はないのだと、何十年も恐怖で固まっていた子供の頃の私自身を抱きしめ、どんな事があっても大人になった自分が絶対に守ってあげるからと
心の中でイメージし語りかけながら小さい頃の自分自身を解放していくことを、地道に根気強く続けていったんです
父親との対決
その中でも特に父親との関係、これがやはり子供の頃の大きな傷跡になっていたようで父親は、もうとっくの昔に他界していますが
実際に目の前に立っている様子をイメージしただけでも、今の強くなった大人の私でさえ、はじめのうちは恐怖で固まってしまう感覚で足がすくんでしまいました
ですが、そのイメージの中で父親に対してとうとう私は
「あなたは今の私にとって、何も必要ではない人間だ!」
と、父親に対して強く何度もハッキリと言うことによって、そのうちに父親に対しての恐怖感が徐々に小さくなり、父親のイメージもどんどん小さなものへと変化していったんです
そうのような状態になってくると、あの恐怖で震えていた小さい頃の私も大人になった自分に守られている絶対的な安心感を感じられるようになったのか
子供の頃の自分のイメージが自由に明るく走り回っている様子に、いつの間にか変化していきました
そうなってくると本当に不思議なもので、パートナーからのスキンシップが足りないと感じることや
逆に過剰にスキンシップを取るといった相手の、ご機嫌取りの行動も以前からすると明らかに減るようになってきたんですよ
そして過去を振り返った時に、その当時では全く気付きもしませんでしたが、やはり自分は周囲に対して
異常な行動を取っていたんだなという事が今では、はっきりと理解が出来るようになりましたので
精神的にも随分と楽になり他人に対して焦るように何かを求める気持ちも、ほとんど消えて無くなってしまいました
心の中に残っている子供の頃の自分が大人になってまでも、ここまで影響を与えていたなんて・・
もしも過去の私と同じように、他人に対しての過剰な機嫌取りや異常なスキンシップなどを何故かやってしまうなと感じている人がもし、いるならば
もしかすると心の中にいる子供の頃の、もう一人の自分が原因になっているのかもしれませんね
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