私は他人と同調することが嫌いだ
いや、正確には「自分が同調したくない人とは絶対に同調したくない」と言った方が正しい表現だと思う
同調して自分を失っていく可愛そうな人達
友達や会社の同僚、家族や親戚など大勢の人たちが集まったりする場では、ことわざでも「多勢に無勢」といった言葉があるように多くの人が、その場所で支持されているものの考え方に本当は嫌だと思っていたとしても
とりあえず事を荒立てぬようにその大勢の意見に、その場その場で同調して流されていってしまっている人たちがいる、そのような場面を今まで数え切れないほど見てきました
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他人と同調することは一見すると良い事のようにも思えますが、それは時と場合によって変わってくるものです
ここで他人との「良い同調」と「悪い同調」の例を、それぞれ見てみましょう
まずはじめに他人との良い同調とは、「その人と同調している時に、あなたが気持ち良いと感じられるもの」
あなたが、その人と同調して気持ちが良いと感じられるのであれば、それは良い同調を行っている証拠であり
逆に同調している時に「何か嫌悪感や不自然な気持ち悪さ・・」
を感じるようであれば、それは間違いなく悪い同調を行っている時の状態に違いありません
私が以前経験した会社での出来事
ここで急に話は変わりますが私が以前勤めていた、ある会社での出来事を話してみたいと思います
その勤めていたある会社では、ほぼ全員の従業員が休み時間のたびに皆、様々なゲームに強制的に参加させられていました
正確には強制ではないのですが、そのゲームをやるぞと言い出すのが会社では責任者クラスの方数人でしたので結果それより低い役職の人も上司の顔色を伺いながら仕方なくそれに従う形でゲームに参加するものですから
普通の役職も何もない従業員は流れで嫌でもそれに従うしかない、といった悪い風潮が昔から蔓延している、そんなとんでもない会社でした
そのゲームの内容に関しましては、ここで詳しく説明する事はできませんが(※それはGoogleアドセンスのNGワードとの関係が理由です)
ほぼ全ての従業員がそんな馬鹿なゲームに参加したくない事は、その場では口に出せないだけであってお互いが十分に理解していることでした
そしてそれを空気が読めずに全く理解していないのは言わなくても分かりますよね、その一番上の責任者クラスの偉い方々、ただ数人だけだったんです
しかしそんな状態の会社の中でも、その上からの重圧にも屈せず、そのゲームにたまにしか参加しない強い意志を持った従業員の方もいるのですが、なんせ参加している人としていない人の割合が
平均すると50対1ぐらいの割合でしたので参加しない人は、よほどの強い意志がなければ、その場に長く居合わせる事が出来ないような、そんな雰囲気の職場でした
私は間違いなく、そんなアホなくだらないゲームに参加するのは嫌だと思っていた方でしたが、なんせ会社全体の中でもかなり上の立場の人が、その場に居合わせた従業員全員を巻き込んでバカなゲームを始めるものですから
始めのうちこそ、たまに参加したりしていましたが、だんだんそんなバカな人間と毎回毎回同調し続けて大切な自分自身を傷つけてしまう事に、日に日に怒りや吐き気で腹が立ってきて!
例えると上の写真のような、その会社で誰も逆らえない歳は若いのに生意気で一番腹の立つ会社でもトップクラスの上司が
「おい、いつものゲームをやるぞ!」と全員参加が当然の様に皆に言い放った時に、私が一人だけ
「私は結構です」
と、その半強制ゲームに参加するのを面と向かって、その上司に断った瞬間の周囲の同僚達の
「こ・・これはまずい・・!」
と一瞬で顔が凍り付いた表情になった、あの修羅場の場面を今でもよく覚えています
それからしばらくして、そんな会社私の方から退職願いを突き出して辞めましたが、この判断は今でも正しかった思っています
だって一番大切な自分自身を守る事が出来て、おまけにそんなどうしようもない人間関係の集団グループから堂々と抜け出す事が出来たのですから(笑)
他人との無理な同調を続けていくと知らず知らずのうちに
大切な自分自身がどんどん削られていき
そのうちに「自分」というものが自分本体の中から消えてなくなってしまう
そうなってしまうと、どんなに理不尽で嫌な出来事があっても
簡単に自分という空っぽになった空間に他人がズカズカと土足で入り込み
他人によって、すぐに同調されて動かされてしまう、自分というものを全く持たない
惨めなただの「操り人形」になってしまう、といった悲しい運命だけが待っています
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