「困った時に人に頼るのは、良い事ではなくて悪いことである」
これは長い間私の心の中にあった、しつこい固定概念の一つでした
人に助けてもらう行為は許されない事だと、ずっと思っていた
私は小さな頃から人に助けてもらおうとした記憶が、ほとんどありません
そして大人になり社会に出で働き始めてからも人に助けてもらう事は、人として恥かしい事だとずっと思っていました
しかし実際に自分の周囲にいる人達を見渡してみると、なんと人に頼る人間の多い事でしようか・・
私はそんな人達の事を「なんてだらしがなくて、どうしようもない人間なんだ・・」と半分軽蔑した目で、そのような人達の事を見ていました
他人に頼る事が出来なかった私が勝手に繰り返す「迷惑と自滅」
しかし、そんな私も長い人生を生きていく中で、どうしても一人では乗り越えられない、人に助けてもらわなければどうにもならない出来事に何度も出くわすことになります
そして、そんな時に私が取った行動とは、何が何でも自分一人の力で問題を解決するといった方法でした
しかし、そんなやり方を続けて行く事は当然無理がありますし、一人で問題を抱え込んでしまい最後になって自分の中にある限界ギリギリのラインを越えてしまうと・・
張り詰めた糸が突然「プツン」と切れてしまう事によって最後は結局、周りの人達に余計に大きな迷惑をかけて自滅してしまう・・ そのような出来事を何度も何度も繰り返してきました
そして、さすがの私も「これは自分に与えられた人生の課題であり、これを解決できなければ一生同じ過ちを繰り返すことになってしまう」と、その「人に頼る事が出来ない」といった重大な課題に真剣に立ち向かう事になりました
いつから人に頼る事が出来なくなってしまったのか
そして私は、その課題を解決するために自分の過去の記憶を思い返すことを行いました、すると、こんな自分になってしまった原因となる過去が一つだけ頭の中に浮かび上がってきたのです
それは私が小学生の頃、再婚した母が連れてきた新しい父親と私との関係でした
エリートだった父
その母親が連れてきた新しい父親は学生の頃から成績優秀だったらしく、仕事も自分で独立をしており事業の方も順調、そんな他人から見たら羨ましく思えるような素晴らしい父親だったのですが、私と父との関係は正直最悪のものでした
父は私が学校の成績が良かったり、誰かに褒められたりするような出来事があると「さすがは私の息子だ!」と誇らしげに人に自慢したり、たちまち機嫌が良くなったりするのですが、それとは反対に成績が少しでも落ちてしまったり学校で何か問題を起こしたりしてしまうと
「どうせ、お前は血の繋がりがないからな・・」などといった子供にとっては、これ以上ないほどの酷い言葉を平気で口にして、それからずっと機嫌が悪い状態が続いてしまう事などがたびたびあったんです
しかし私も初めの頃は、そんな父親でも嫌われたくない気持ちの方が強く何とか父親の期待に応えようと一生懸命努力をしたのですが、他人に褒められるような事をすれば一時的に自分を認められますが
そうでない場合は「お前は俺の本当の息子ではない!」などと言われるほど酷く絶望させられる言葉をあびせられる日々が繰り返されました
そんな事があってから「私は一人で頑張って常に何か良い結果を出し続けなければ自分は価値がある人間として認められないんだ・・」といった間違った価値観が心の中に植え付けられる結果となったのです
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頑張らない自分は、価値が無い人間だと思い込んでいた
しかしそんな私も社会に出て結婚をして、自分の子供を何人も育ててきて分かった事は、学生の頃に父親から受けた心の傷は自分だけが一方的に悪かったわけではなく、未熟な親から受けた本来ならば傷つけられる必要などなかった心の傷だったのだという事が、しっかりと理解できたんです
そして、そのことが自分の心の中で整理出来ると、私は他人に対して「自分が困っている時は誰かに助けてもらう」といった当たり前の事が、いつの間にか普通に出来るような人間になっていました
そして、それからは人生が今までとは違って随分と楽に生きられるようになった事は言うまでもありません、確かに自分では努力をせずに人に頼ってばかりの人間は決して許されるものではありませんが
自分が出来る努力を一生懸命やったうえで、それでも解決できないほどの大きな問題にぶつかってしまったとするならば「素直に人に助けを求めてみる」といった事は恥かしい事でもなんでもない人として当然の事なんだと、今では感じられるようになっています
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